だったはず。
黎明期は情報を発信する人と受信する人に垣根があまりなく、いろんな所で本気の「議論」が繰り広げられていた。まさしくコミュニケーションツール然としてた。
なのだけど、なんか最近、少し違和感を感じ始めてきている。
食事をしてても、電車やバスに乗っていても、つぶやいてみたりリプライをチェックしてみたりそんな風景を沢山見る。
それだけなら便利な世の中になったものだ。と思うだけなのだが、最近特にGoogleさんはなにやらあらぬ方向に進化しようとしているように見える。
【Googleが、Google+でシェアされた情報を検索エンジン上で統合するサービスを開始すると発表した。Googleニュースリリースの原文はこちら ”Search, plus your World“】
半年ほど前だったかな。個人情報を集めだした!といって結構な騒ぎになっていたけど(世間はもう慣れてしまった?)どうやらそれは利用者個人の情報だけでなく、その人の知人友人の情報と自分とを関連付けてしまおうという事らしい。
要するに検索結果に、自分の友人・知人の発信した情報が優先して表示されると。つまり検索結果を自分の所属するコミュニティー向けにカスタマイズしてくれる、と。
「検索+あなたの世界」という事らしい。
わぁ、便利っ!
か?
車を降りて、携帯端末でfacebookをチェックすると旧友が、ランチ美味しかった!といってる。思わず「いいね!」する。
なんか繋がった気分。こんな感じが助長される。
情報が増え、同時にノイズも増え取捨選択処理するのにも手間が増える。が、結局人間は怠け者なのでその反動で「繋がり」というものすらワンクリックになってしまった。ような気がする。
この先、検索さえすればすぐに「繋がれる」ようになるのかもしれない。いや、GPS情報をオンにしておけばそこに行くだけで、友人知人の過去情報に参照されて、「いいね!」しますか?とか便利に教えてくれる世界がもうそこにやってきている。
まぁ、それはそれで結構なことなのかもしれないが、なんか気持ち悪いのは、検索の表示システムがブラックボックスであるということ。
現在googleの検索結果はランク付けとイコールでもある。検索エンジンに表示される結果をどうこうしようという専門業者が沢山あるくらいそのランクは重要とされている。が、オレの友達はランク付けなんかしたくない。
つまり、おれの友達を選んでいるのはお前じゃない、っていう違和感が常に付きまといそうな気がする。初期のようにWeb上のデータをかたっぱしから集めて力技で表示させるというのはすごく直球でわかりやすかった。だから世界中の人々に指示された。
Webはたまにしか使わない。そんな人の情報のランクは当然低くなるだろう。でも、その人のランクが低いわけじゃない。
webというのは情報の海だ。情報というのはイコール言葉に置き換えられると言ってもいい。言葉を尽くせば距離やリアリティーの溝も埋められるのかもしれない。今は高解像度写真や高画質動画すら簡単に利用できる。
けれども、あの人の指先の暖かさや息づかいを現実に感じる事には何をどうやってもかなわない。殴られたら痛いし、やさしく撫でられたら涙がでるくらい嬉しかったりするのだ。僕らは左脳だけでは生きていない。
せめてソフィスティケイトされた情報の断片だけで満足した気になるのは早漏なのだという自覚くらいは忘れないでいよう。
と、思いっきり話が脱線したけど、何がいいたいかというと、最近のインターネットは面白くないのだ。
単純に参加する人々が増え、企業も行政も何もかもと言っていいくらいに。Web上で調べられない事は無いくらいに。そうすると、当然、システムも高度化するし複雑化する。そうなると当然、発信側より受信するだけの側の層が多くなってくるわけで、必然的に画一化する。
実際、一般の人の情報発信といえるものは、ブログ、ツイッター、Facebook、mixiとかにほとんどのものが依存していると言ってもいいくらいだ。現実問題情報ノイズは軽減されたのかもしれないけど、やっぱり面白くないのだ。
インターネットは未開拓の荒野ではなくなってしまった。
で、ずらずらと殴り書きをしているが、何が言いたいかというと、どっかの頭の良いだれかさんが、インターネットじゃない、次の何かを作ってくれないかなー。という妄想。
それは、モバイルのネットワークをつかったP2Pなのか衛生電波を使ったなにかしらの技術なのかしらないけれど、もう一回くらい未開の荒野をつきすすんでいくライブ感、高揚感を感じてみたいのだ。無理な話なんだろうか。。。